同一の自己は同一の状態を繰り返すだらう。
幸田露伴努力論
背景解説
去年と同じ自分なら、去年と同じ結果しか出ない。当たり前のことなんだけど、ドキッとしませんか? 自分を変えないと運命も変わらないって、露伴は100年前に言い切ってるんですよ。
同じ自分のままなら、同じ運命が繰り返される
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努力論』の他のひとふみ
努力して努力する、それは眞のよいものでは無い。努力を忘れて努力する、それが眞の好いものである。
幸田露伴
理智は吾人に教へて曰く、運命流行の原則は、運命其物のみ之を知る。たゞ運命と人力との關係に至つては我能く之を知ると。
幸田露伴
努力は一である。併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。
幸田露伴
努力して居る、若くは努力せんとして居る、といふことを忘れて居て、そして我が爲せることがおのづからなる努力であつて欲しい。
幸田露伴
瓜の蔓に茄子を求むるが如きは、努力の方向が誤つて居るのである。
幸田露伴
世上の成功者は、皆自己の意志や、智慮や、勤勉や、仁徳の力によつて自己の好結果を收め得たことを信じて居り、そして失敗者は皆自己の罪では無いが、運命の然らしめたが爲に失敗の苦境に陷つたことを歎じて居る。
幸田露伴
好運を牽き出す人は常に自己を責め、自己の掌より紅血を滴らし、而して堪へ難き痛楚を忍びて、其の線を牽き動かしつゝ、終に重大なる體躯の好運の神を招き致すのである。
幸田露伴
同一の自己が同一の運命を繰り返すだらうといふことは、同一の貨幣が同一の價値を有するといふことと同じ道理である。
幸田露伴
人はやゝもすれば努力の無效に終ることを訴へて嗟歎するもある。
幸田露伴
昧爽より午に至るまでの氣象、人須らく其の氣象を體得して生を遂ぐべしである。
幸田露伴
藤であるならば竹に交つても眞直にはなるまいが、蓬であるならば麻に交れば直になる。
幸田露伴
着手の處、着手の處と尋ねなければならぬ。
幸田露伴
世界は生々の氣に張られて居るのである。
幸田露伴
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