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ただあなたとわたしのように、こういっしょにいるところなんで、その場限りで面白味があるでしょう
夏目漱石「草枕」
背景解説
人生って意外とストーリーじゃなくて、今この瞬間の空気感で決まることもあるって話。つまり、深い意味とか理由とかなくても、誰かと一緒にいるその場の雰囲気だけで十分に幸せになれるし面白いってこと。漱石が100年以上前に書いたとは思えないくらい、現代のSNS時代の関係性にもぶっささる。
でも、その場限りで終わる関係って、本当に充実してるのか?それとも何か失ってるのか?
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『草枕』の他のひとふみ
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
夏目漱石
喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。
夏目漱石
雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。
夏目漱石
うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠もるとぞ知れ
夏目漱石
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。
夏目漱石
どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。
夏目漱石
有体(ありてい)なる己(おの)れを忘れ尽(つく)して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保(たも)つ。
夏目漱石
非人情がちと強過ぎたようだ。
夏目漱石
ここらが非人情で面白い。
夏目漱石
その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。
夏目漱石
聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい
夏目漱石
糞(ふん)はどこぞに着いておらぬかと眺(なが)めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた
夏目漱石
路寂寞(じゃくまく)と古今(ここん)の春を貫(つらぬ)いて、花を厭(いと)えば足を着くるに地なき小村(こむら)に、婆さんは幾年(いくねん)の昔からじゃらん、じゃらんを数え尽くして、今日(こんにち)の白頭(はくとう)に至ったのだろう。
夏目漱石
鏡に対(むか)うときのみ、わが頭の白きを喞(かこ)つものは幸の部に属する人である。
夏目漱石
惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです
夏目漱石
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