いま、いま、いま、と 指でおさえているうちにも、 いま、は遠くへ飛び去って、 あたらしい「いま」が来ている。
太宰治女生徒」(1939)
孤独時間が過ぎるのが怖いとき
まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。
九鬼周造「いき」の構造」(1930)
知的興奮日本の美意識について考えたいとき
哲学が驚異に始まるといわれるのも、そのためである。
三木清哲学入門」(1940)
新鮮日常に退屈を感じているとき
高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。
森鷗外高瀬舟」(1916)
静けさ何かが始まる予感がするとき
お上の事には間違はございますまいから。
森鷗外最後の一句」(1915)
皮肉、反骨権威に対して疑問を感じながらも従わざるを得ないとき
あの婦人は、今でも、あの山の中に、独り住んでいるのでございましょうか。
泉鏡花高野聖」(1900)
余韻終わった後も頭から離れないとき
恥の多い生涯を送って来ました。
太宰治人間失格」(1948)
孤独自分の人生を振り返るとき
お前はその風の中に何かしら人間の力では遂に到達し得ない或る楽天的なものを嗅ぎ出しているようであった。
堀辰雄風立ちぬ」(1938)
切なさ大切な人の強さに胸を打たれたとき
おうい。
芥川龍之介トロッコ」(1922)
好奇心知らない大人に声をかけられたとき
されば武蔵野の美にして、 一日だも変化のない日はなかった。
国木田独歩武蔵野」(1898)
発見毎日の変化に気づきたいとき
自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならない
夏目漱石私の個人主義」(1914)
覚悟力を持ったとき、その使い方に悩むとき
彼は女の美しさに関して何の理解もありませんでしたが、ただ彼が感じたのは、これは俺の手に負えぬ怖ろしい何ものかだということでした。
坂口安吾桜の森の満開の下」(1947)
畏怖、困惑自分の理解を超えた存在に出会ったとき
富士山、さやうなら、 お世話になりました。パチリ。
太宰治富嶽百景」(1939)
安らぎ何かに区切りをつけるとき
杜子春は寒さと恐しさとに、殆(ほとんど)気を失いそうになりましたが、しかし鉄冠子の言葉を覚えていましたから、唇を噛みしめたまま、じっと我慢をしていました。
芥川龍之介杜子春」(1920)
恐怖、忍耐恐ろしい状況でも何かを守るために耐え続けるとき
それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。
芥川龍之介」(1916)
屈辱感、怒り自分の弱みや劣等感を他者に見られ、対象化されるとき
美しい勇気と、如何に正直の心だと云うので、ひどく賞めていました
小泉節子思い出の記」(1908)
切なさ枯れゆく朝顔の最期の花を見つめるとき
真摯に生きんとする人は必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずには居られないのである。
倉田百三愛と認識との出発」(1921)
精神の渇望何かを信じたい、すがりたいと感じるとき
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
宮沢賢治農民芸術概論綱要」(1926)
畏敬自分の存在の小ささと大きさを同時に感じたとき
涯しない花の下の涯しい虚空をみたしているものは何だろう。
坂口安吾桜の森の満開の下」(1947)
虚無、畏敬美しさの中に空虚を感じるとき
兎に角君に教えるがね。一切の理論は灰いろで、緑なのは黄金なす生活の木だ。
ゲーテファウスト」(1808)
覚醒頭でっかちになって行動できないとき