我々は環境から作られるのである。
三木清哲学入門」(1940)
謙虚,受容自分を取り巻く環境の影響力を実感するとき
概して詞に、言句にたよるに限る。
ゲーテファウスト」(1808)
皮肉,軽蔑メフィストフェレスが学生に学問の本質を教えるとき
つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい
夏目漱石こころ」(1914)
切なさ, 愛情親の死を覚悟した父の真摯な思いを初めて理解するとき
タッタ一言……タッタ一言……御返事をして下されば……いいのです。
夢野久作ドグラ・マグラ」(1935)
切なさ、絶望自分の存在を確認してもらいたいのに、相手が返事をくれないとき
大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり。豪商百万両の金も、飴やおこし四文の銭も、己がものとしてこれを守るの心は同様なり。
福沢諭吉学問のすすめ」(1872)
決意身分制度による不公正さに怒り、真の平等について考えたいとき
神に問う。信頼は罪なりや。
太宰治人間失格」(1948)
切なさ人を信じることに疲れたとき
明日もまた、同じ日が来るのだろう。 幸福は一生、来ないのだ。 それは、わかっている。 けれども、きっと来る、 あすは来る、と信じて寝るのが いいのでしょう。
太宰治女生徒」(1939)
希望明日に希望を持ちたいとき
物の真に肝要なところはただ虚にのみ存すると彼は主張した。
岡倉天心茶の本」(1906)
驚き,発見物事の本質を探求しているとき
まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態」である。
九鬼周造「いき」の構造」(1930)
知的興奮日本の美意識について考えたいとき
私たちが、日常のことで思い悩み、腹を立てたり、悲しんだりして疲れはてた時、ふと、自然を見て、「ああ、こんな美しい世界があるのを、すっかり忘れていた。どうして、これを忘れていたのだろう。」と何だか恥ずかしくなり、やがて、悲しみや、怒りを忘れてしまい、自然の景色の中につつまれ、「ああいいな」とうっとりとその中に吸い込まれていくことがある。
中井正一美学入門」(1941)
美への気づき日常に疲れて心が枯れそうなとき
ほんとうのさいわいは 一体何だろう
宮沢賢治銀河鉄道の夜」(1934)
問い幸せって何だろうと考えるとき
お前たちの中には母上の血が流れている。母上は決して死んではいない。
有島武郎小さき者へ」(1918)
希望大切な人を亡くしたけれど前を向きたいとき
そなたの胸は海のやうおほらかにこそうちあぐる。
中原中也山羊の歌」(1934)
愛情,賛美愛する人の美しさに心から感動しているとき
御者は赤い西日の中に手綱を引き緊めると、鞭の先で遙か眼の下の町を指した。
横光利一」(1923)
緊張、美しさ美しい風景の中に潜む危険を感じ取りたいとき
私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。 それからまた大きすぎる風呂敷包みが不快であった。
芥川龍之介蜜柑」(1919)
切なさ知らない人にイラッとしちゃうとき
夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
倉田百三愛と認識との出発」(1921)
哀愁,警告理想を失いかけている自分に気づくとき
私はその時一心に称名を唱えておりましたから。
泉鏡花高野聖」(1900)
安堵信念が自分を守ってくれたとき
猪子蓮太郎という人の名は、 丑松にとって 一つの光であった。
島崎藤村破戒」(1906)
希望自分と同じ境遇の人に出会ったとき
北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた「死骸」だった。
小林多喜二蟹工船」(1929)
怒り, 絶望労働搾取の現実を目の当たりにしたとき
私はその変な画を眺めるだけで、講演の内容をちっとも組み立てずに暮らしてしまったのです。
夏目漱石私の個人主義」(1914)
諦観,自嘲やるべきことを先延ばしにしてしまったとき