足の糸は解くに由なし。曩(さき)にこれを繰(あや)つりしは、我(わが)某(なにがし)省の官長にて、今はこの糸、あなあはれ、天方伯の手中に在り。
森鷗外舞姫」(1890)
諦観,絶望,運命への直面自分の自由だと思っていたものが、実は権力に操られていたことに気づいたとき
お茶がおいしいときにも、 きっとお父さんを思い出す
太宰治女生徒」(1939)
切なさ大切な人を思い出すとき
自然は美しかった。 恐ろしく美しかった。
有島武郎生れ出づる悩み」(1918)
畏怖自然の圧倒的な力を感じたとき
簡素独立の心は王侯のさしずによって立ちはたらくのではない。天才は皇帝の臣下ではなく、その材料はごく少量をのぞいては金・銀・大理石ではない。
ソロー森の生活」(1854)
自由他人の評価や社会の基準に振り回されているとき
二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった
夏目漱石三四郎」(1908)
自己否定, 絶望感自分の人生を否定されたと感じるとき
どうせ死ぬんだから、旨(うま)いものでも食って死ななくっちゃ
夏目漱石こころ」(1914)
切なさ, 悲しみ死を覚悟した時に, 人生の無常さを感じた時に
海蔵はそれから少しいい人になりました。
新美南吉牛をつないだ椿の木」(1943)
温かさ、希望人は変われるのかと問いたくなったとき
ほとんど、忘れようとしていたある感覚が、再び内供に帰って来たのはこの時である。
芥川龍之介」(1916)
切なさ、喜び苦しみから一時的に解放された喜びが、再び現実に直面するとき
糞(ふん)はどこぞに着いておらぬかと眺(なが)めて見たが、それは箱のなかに取り残されていた
夏目漱石草枕」(1906)
諦観, 黒い笑い日常の非情さに直面したとき
嗚呼、彼も一時。舟の横浜を離るるまでは、天晴豪傑と思ひし身も、せきあへぬ涙に手巾を濡らしつるを我れ乍ら怪しと思ひしが、これぞなか/\に我本性なりける。
森鷗外舞姫」(1890)
自己認識、孤独、切なさ自分の弱さに気づき、本当の自分を直視したいとき
始めは小さき鶏かと思いしが溝(みぞ)の草に隠れて見えざればすなわち野鳥なることを知れり。
柳田国男遠野物語」(1910)
驚き, 発見予想と現実のズレに気付いたとき、未知のものに出会ったとき
法善寺横丁の水掛不動の前を 二人は並んで歩いた。 何度この道を通ったことか。 足が覚えている道であった。
織田作之助夫婦善哉」(1940)
郷愁いつもの場所に安らぎを感じるとき
もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。
芥川龍之介杜子春」(1920)
衝撃、安堵間違いだと思ったことが実は正解だったとき
私は十五歳で学問に志した。三十歳で自分の精神的立脚点を定めた。四十歳で方向に迷わなくなつた。五十歳で天から授かった使命を悟った。
下村湖人現代訳論語」(1949)
感銘自分の成長が実感できず焦っているとき
杜子春は寒さと恐しさとに、殆(ほとんど)気を失いそうになりましたが、しかし鉄冠子の言葉を覚えていましたから、唇を噛みしめたまま、じっと我慢をしていました。
芥川龍之介杜子春」(1920)
恐怖、忍耐恐ろしい状況でも何かを守るために耐え続けるとき
鐵は、用ひない時に、※る。溜り水は、濁つて、寒天には、氷結する。懈怠が心の活力を奪ふ事も亦、これに比しい。
レオナルド・ダ・ヴインチレオナルド・ダ・ヴインチの手記」(1914)
行動への鼓舞怠けてしまっている自分に喝を入れたいとき
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
宮沢賢治農民芸術概論綱要」(1926)
畏敬自分の存在の小ささと大きさを同時に感じたとき
今まではあまり類例のなかった私たちの如(ごと)き夫婦関係も、追い追い諸方に生じるだろうと思われますから。
谷崎潤一郎痴人の愛」(1924)
希望自分たちの人生経験が普遍的な価値を持つと気づいたとき
私は生きている。私はこれほど確かな事実はないと思った。自己の存在はただちに内より直観できる。
倉田百三愛と認識との出発」(1921)
実存的覚醒自分の存在意義に悩んでいるとき
その頃でも恋はあった。自分は死ぬ前に一目思う女に逢いたいと云った。
夏目漱石夢十夜」(1908)
切なさ, 希望死を覚悟したとき、最後の願いを心に抱きたいとき