もどる
人間は生まれながらにして 自由であり平等であるという。 それならば何故私は このように苦しまねばならぬのか。
島崎藤村「破戒」
背景解説
フランス人権宣言の理念と、日本の現実のギャップ。「自由で平等」なんて嘘じゃないか、と丑松は叫ぶ。明治時代の近代化は、制度は変えたけど人の心までは変えられなかった。そしてこの問いは、形を変えて今も生きている。
理想と現実の間で、人は叫ぶ。
あらすじを見てみる →
本文を読む →
『破戒』の他のひとふみ
たとい如何なる目を見ようとも、 如何なる人に邂逅おうとも、 決してそれは打ち明けるな。 一旦の憤怒悲哀から、 若しそれを白状するような事があったら、 その時こそお前の一生の 不幸だと思え。
島崎藤村
蓮華寺では下宿を兼ねた。
島崎藤村
隠すということは、 自分で自分を 殺すということだ。
島崎藤村
猪子蓮太郎という人の名は、 丑松にとって 一つの光であった。
島崎藤村
お志保の澄んだ眼を見る度に、 丑松は自分の嘘が 刃のように胸に突き刺さるのを 感じた。
島崎藤村
猪子先生は 壇上で倒れた。 差別と闘い続けた その体は、もう限界であった。
島崎藤村
もう隠すまい。 隠すことに疲れた。 自分は自分であるより 他にないのだ。
島崎藤村
「皆さん、 私は穢多です。」 丑松は教壇の上で 生徒たちの前に跪いた。
島崎藤村
戒めは破られた。 しかし丑松の心は 不思議に晴れやかであった。
島崎藤村
← ホームに戻る