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哲学者は淋しい甲蟲である。
倉田百三「愛と認識との出発」
背景解説
哲学者を甲虫に例えるなんて斬新すぎる。でも甲虫って実は美しい生き物だよね。孤独だけど愛らしい存在として自分を見つめる眼差しがいじらしい。
思索する人の孤独には、実は美しさが宿っている
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『愛と認識との出発』の他のひとふみ
何が人生において最もよきことぞと問い顧みるとき、官能を透してくる物質の快楽よりも、恋する女と、愛する友と相抱いて、胸をぴたりと融合して、至情と至情との熱烈なる共鳴を感ずるそのときである。
倉田百三
私は生きている。私はこれほど確かな事実はないと思った。自己の存在はただちに内より直観できる。
倉田百三
私はこの生命と生命との交渉、魂と魂との接触は宇宙における厳粛なる偉大なる事実に相違ないと思った。
倉田百三
私は leben せんためには denken しなければならないと思った。
倉田百三
真摯に生きんとする人は必ず熱烈なる宗教的要求を感ぜずには居られないのである。
倉田百三
フィロソファーとは愛知者という語義だという。
倉田百三
青春は短い。宝石のごとくにしてそれを惜しめ。
倉田百三
夢見ることをやめたとき、その青春は終わるのである。
倉田百三
人間には互いに働きかけたい心願がある。
倉田百三
赦しはじつに人間と人間との従属に最も大切なる Tugend である。
倉田百三
人間は時間と空間との制約の埒外に出ることはできない。
倉田百三
人間と人間と触れ合うことは無限の味、幸福、涙である。
倉田百三
現にこの世でもこれに類することはじつに多い。
倉田百三
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